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覚悟の一撃 2 ―― 人生論・状況論

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イメージ画像( 日比谷公園 ) 価値は表層にあり ―― 表層を嗅ぎ分けるアンテナだけが益々シャープになって、ステージに溢れた熱気が、文明の不滅なる神話にほんの束の間、遊ばれている。表層に滲み出てくることなく、滲み出させる能力の欠けたるものは、そこにどれほどのスキルの結晶がみられても、今、それは何ものにもなり得ない。奥深く沈潜し、価値が価値であるところの深みを彷徨する時間を愉しむには、私たちは多忙過ぎる。動き過ぎる。移ろい過ぎる。ガードが弱過ぎる。沈黙の価値を知らな過ぎるのだ。 沈黙を失い、省察を失い、恥じらい含みの偽善を失い、内側を固めていくような継続的な感情も見えにくくなってきた。多くのものが白日の下に晒されるから、取るに足らない引き込み線までもが値踏みされ、僅かに放たれた差異に面白いように反応してしまう。終わりが見えない泡立ちの中では、その僅かな差異が、何かいつも決定的な落差を示しているようにみえる。陰翳の喪失と、微小な差異への拘り ―― この二つは無縁ではない。陰翳の喪失による、フラットでストレートな時代の造形が、薄明で出し入れしていた情念の多くを突き崩し、深々と解毒処理を施して、そこに誰の眼にも見えやすい読解ラインを無秩序に広げていくことで、安易な流れが形成されていく。そこに集合する感情には、個としての時間を開いていくことの辛さが含まれている分だけ差異に敏感になっていて、放たれた差異を埋めようとする意志が、ラインに乗って踠くようにして流れを捕捉しにかかる。流れの中の差異が取るに足らないものでも、拘泥の強さが、そこで「差異感性」をいつまでも安堵させないのである。 失われた沈黙を索めて(イメージ画像) 沈黙の価値を再発見したアラン・コルバン 人々を、視覚の氾濫が囲繞する。シャワーのようなその情報の洪水に、無秩序で繋がりをもてないサウンドが雪崩れ込んできて、空気をいつも飽きさせなくしている。異種の空気で生命を繋ぐには立ち上げ切れないし、馴染んだ空気のその無秩序な変容に自我を流して、時代が運んでくれる向うに移ろっていくだけだ。一切を照らし出す時代の灯火の安寧に馴れ過ぎて、闇を壊したそのパワーの際限のなさに、人々は無自覚になり過ぎているのかも知れない。視覚の氾濫に終わりが見えないのだ。薄明を梳かして闇を剥いでいく時代の推進力は